お金と心、どちかが満たされていないと結局貧しいですよね。
心が貧しいからお金に意味を持たないし、ましてや心の貧しさを満たすために散財する。
逆も然りで、金銭的に貧しいと余裕がなくなって心も貧しくなる。
それって身の丈に合わない欲望を持っているせいなんですよね。
なので、性やお金を一心不乱に使わずに心を満たすために、中身を磨いて、根拠のある自信をつけて、自分で自分を満たすのです。
その為には自分と向き合って、自分の価値を知って、現実的に自分が求めても良い上限を知る事により、自己肯定感という自制心が生まれるのです。
自分の価値そのものが、自分の欲求の上限です。
己の身の丈(容姿、内面、収入、時間、年齢など)に合わない理想を持つことが、全てを貧しくさせるのです。
そもそも、幼い頃に好きだった漫画のヒロインのような美人で優しくて何でも受け入れてくれてエッチで家庭的で面白いお姫様なんて居ません。
逆も然り、王子様もいません。
もし、目の前にいる恋人を大した理由もなく「姫」または「王子」と思えないのならば、それ以上幸せになれる事はないと思います。
理想を追い求めるとしたら、他人に押し付けるのではなく、自分そのものだけに持つことが、心の貧困を免れます。
愛されたいと願う前に自分を愛する段階が必要なのも、愛される為の1番の手段なのです。
根拠のない「今日も自分は素敵」「生きているだけで偉い」という自信は、向き合っている人だけが使えるラッキーカードだと思っています。
おじさんと若い女の子がセックスしている事がおかしいとかいう前に、そんな貧しい世の中がおかしいのです。
精神をすり減らしてお金を得る手段は他にもあるのに、そこに行き着くのは「楽」や「性欲」という理由だけではない、需要と供給を超えた心の貧しさが宿っているのだと思います。
未成年淫行をする人間も、心が貧しいです。
自分を認めてあげられない人間が、愛されたいという野望を持つこと自体が、理想の上限を超えているので、いつまで経っても満たされない気持ちになるのです。
実際この国は貧しいし暗いです。
こんな文章を私、若者が書いている事すら異常と思われない事が貧しいのです。
どう搾取されず生きるかを考えなくてはいけないのです。
需要と供給とは、与え合う場面に使う言葉であって、搾取し合う事が需要と供給であると、履き違えている人が多過ぎる。特に同世代の若者。
貧乏ほど、セックスとアートが好きです。
それがイケていると思う事が、もう既に搾取されている。
「好き」と「嫌い」を超えた感情を持った人間が、大きなアンチテーゼを抱えて、批判したりされたりする覚悟で創造しているのに対し、「好き」か「嫌い」だけで物事を判断した人間が、商業的な作品に触発されて、憧れだけでこの世界に飛び込んで、社会で生きれたはずなのに、どっちつかずになって貧困になっていくのも、立派に「搾取」されていると思います。
そのような、どっちつかずの若者アーティストこそ、自分にしか矢印が向いていないので、何も生み出せず搾取されて終わっていくのです。
ただ一瞬、「勢い」を買われただけなのです。
表現する事は「憧れ」ではなく「生き様」なので、元々持っていた富を失った上に堕落して何も生み出せないのであれば、もうその道はないのかもしれません。
なぜ、国の補助があって、性産業があって、アーティストがいて、自分がいるのか。
それを考えられたら、その枠を飛び越えていないし、その枠を飛び越えてしまうぐらい、日本の心も貧しいのが現状なんですよね。
こんなに沢山の人間が存在しているのに、寂しくて寂しくて仕方ないのは、結局根本に強い性的欲求(異性を求める気持ち)がある反面、永遠に男女がほんの少しだけ歩み寄る事ができないからなのではないでしょうか。
軽蔑しながら異性に理想を抱く、歪な関係性なのです。
正論をフェミニズムと言われてしまえば交われないし、加害性のある多くの男性を「全員」と言ってしまえば交われないんですよね。
性欲の否定ではなく、性欲の在り方の否定であり、全員ではなく「加害者」である男性に対する議論が、矢印が自分にしか向いていない人間のせいで、一生会話が成立していないのをリアルでもSNSでも感じます。
攻撃ではなく正論、正解ではなく妥協点、擦り合わせと称した暴論の廃止など。もう少し歩み寄れないものなのかなと。
この街は冷たい。インターネットも冷たい。
こんなにも心の貧しさで溢れかえると、人々に温かみはなくなるものなんですかね。
商業的である事も冷たい。でも貧しくならない為には仕方ない。でも結局、誰かが無駄に貧しくなる。
地球はどんどん温まるのに、誰の涙も乾かないし人々は冷たくなるばかり。
葬式に行くと性的欲求が強まるという一説があるそうなのですが、私はアラーキーの作品を見た時にとてつもない「生」を感じました。
そのように、性って本来「生命力」が宿っているはずなのに、心身の貧しさでセックスを求める人々は、まるで葬式で性欲が高まる「死に際の生命力」の様なのです。
死なない為に生きるのではなく、生きる為に死なない社会になれば良いのですが、どうしたら良いのでしょうか。
バブルも崩壊して時が経ち、モー娘。がテレビで歌っていた頃の日本の方が、明るかったなんて残酷すぎます。
若者が賢くならなきゃいけないぐらい、手っ取り早く様々なコンテンツに触れ合えてしまうインターネットの普及も、愛と知識欲を半減させ、判断力がなくなって、知性を失って心が貧しくなる原因なのでしょうか。
ルッキズムの加速も貧しさに拍車をかけている。
なぜ、こんなにも性欲に塗れた社会が、少子高齢化なのでしょうか。
やはりこの国は貧しい。