クリスマスイブ
飯島愛さんが鬼籍に入った事が判明した日ですね
私は露骨にダメな男性を好きになって悩んでいる女性や、露骨に危ない世界に自ら飛び込んで傷ついている女性に対して、よく言う言葉があります。
「先人が通ってくれた悪い道をわざわざ辿る必要がない」
自分がしたくてしているなら良いし、悩んでいる時間も傷つきながら楽しんでいるのなら良いのです。
でも、なんだかんだ本気で悲しんでいる人を見ると私も悲しくなる。
例え、その人がしたくてしている事であっても。
不倫も浮気も詐欺も殺人も暴力も薬物も全部する必要がない。
そんなの分かっているから、大半の方はしない。
でも、好奇心ではなく、そうせざるを得ない人間も中には居るんですよね。
貧困や病気や怪我などの目に見える悩みではなく、育ちや、人よりも細やかな感情を持っている人間は、悪に酔いしれる隙もなく飛び込んで、悩む。
心のパーツのどこかが未熟なのだ。
確かに、達観していないと言ってしまえばおしまいですが、今を生きていく事に熱中してしまうぐらい生き急ぐ理由があるんですよね。
そんな方には飯島愛さんの自伝「プラトニック・セックス」を読んでいただきたいです。
今の若者が読むべき本だと思います。
亡くなった方が遺してくれた作品を、自分の希死念慮に重ねて「亡くなった人のコンテンツ」として消費する事が好きではないので、「愛ちゃんが今も生きていてくれたら」と思いながら読んでいただきたいです。
先人が辿った道を行かない為に、自分の気持ちを客観視する必要がある。
寂しさや強がり、感情から行動へのいきさつや不器用な部分への矛盾など、全てが素直な言葉で書かれている本です。
あっけら感としていてさっぱりして見えた彼女ですが、テレビの仕事で忙しい中で書き上げた原稿が没になった時に、「2年間勘違いしてた。ミラクルヒットが人の人生をダメにするから要らないと思うよ。嬉しい事だけど、必要以上のミラクルは勘違いさせちゃう」と仰っていました。
サラッと出た言葉にとても命の重みを感じさせられたり、成功しなかった場面で瞬時に自分を客観視する達観した姿勢が、彼女の表向きの態度にも繋がっていたんだと感じました。
勉学とは別の賢さを持つ方は、やはり賢くならなければ生きていけない柔らかい心の持ち主なんだと再確認させていただく本です。
私もそうです。私は賢いとは思いませんが、心が脆すぎる分、賢くなって自分の気持ちに向き合って言語化して達観という強さを手に入れたいのです。
愛ちゃんもそうだったんだろうな。
今も彼女が生きていたら、もっとマインド的な部分にもスポットが当たっていたと思います。
Tバック姿も彼女の思考からきちんと繋がって、成り立ったものなので、お色気お姉さんという目線ではなく、尊敬されて守られるべき存在なんだという目線に変わりました。
派手でセクシーな部分も持ち合わせているけれど、寂しがり屋でか弱い乙女である事を、もっと周りが理解して欲しかったと勝手ながらに思ってしまいます。
私自身が派手で強くて独特で怖そうだと思われることが多く、その部分だけを見て愛されたり判断されるのですが、確かにどこにも居ない私であるかもしれないけれど、どこにでもいるか弱い普通の女の子である事を全くわかってもらえない寂しさに押し潰されそうな日々です。
なので、飯島愛さんの言葉が全ページ共感できる気持ちになりました。
エピローグでは今までの波瀾万丈で繊細な人生の中での核となる本心が綴られております。
生きろとか頑張れとか元気出してとは言われたくない。
とは言え、生きるなとも諦めろともこのままでいろとも言われたくない。
そんな私たちへ、生き様で寄り添ってくれるのがこの本であり、飯島愛さんの存在だと思います。
結局、善悪関係なく生きていくなら、多少の賢さと向き合う気持ちは必要なんですよね。
良いなら良いなりに、ダメならダメなりに。
飯島愛さんの言葉がありのままであるという事が、私たちに否定も肯定もしない、最も品のある優しく暖かい寄り添い方をしてくださります。
突然ですが、私はクリスマスが嫌いです。
両親がイベント事を大事にするタイプなので、ひな祭りも節分も誕生日もクリスマスもお正月も、イベントに因んだ食事をしておりました。
なので、大人になってクリスマスにケーキを食べるか食べないか選べるようになった時に、逃げたくなりました。
クリスマスは誰かと楽しむものだと、心が認識しているのです。
ローカルな駅でさえイルミネーションを飾っていたり、コンビニにすらサンタクロースの絵柄のお菓子が置いてある。
1人でにクリスマスを楽しみたいかどうか分からない自分が、置いていかれて、とても孤独に感じてしまうのです。
できる事なら、街のイルミネーションの灯りが消えるまで寝過ごしたいです。クリスマスは街に出たくない。
ケーキを食べたら食べたで、本当にこれで良かったのかなと少し後ろめたくなるし、食べなかったら食べなかったで寂しく感じます。
サンタクロースの正体が分かった頃から、妙にシュンとし始めました。
大人の顔色を伺うタイプの子供だったので、もうわがままは言ってはいけない年齢なんだと感じてしまったのです。
サンタクロースが誰であろうと、もし本当に欲しいものを一つだけくれると言われたら、皆様は何を望みますか?
そう聞かれた時に、コスメやCDや雑貨やお洋服などが浮かばない自分にも悲しくなるのです。
多分、私は自分とは真逆の性格を手に入れたいと望みます。
落ち込みやすくて、変に真面目で、人見知りで、涙脆くて、感受性がやたら豊かで、毎日頭の中にごちゃごちゃと文字の羅列が並んでいて、考え過ぎてしまう。
そんな性格とは真逆の性格を望みます。
なので、目の前のものを楽しむ気持ちが欲しいです。
それさえあれば、頭の中の文字の羅列は消えるのです。
明日朝起きたら、何にも考えが浮かばなくなってコラムが書けなくなって、連載辞めさせていただきますとメールをする。
毎月販売しているZINE「飢餓の標本」も販売休止しますとツイートをする。
歌詞も振り付けも浮かばないし、人前で歌って踊るなんてあり得ない、アイドルをやるなんてあり得ない、突然引退する。
果たしてその先で何をするのかは分かりませんが、感情が薄まった分、機械化した自分にさえ悲しみを覚えないのです。
でも、やっぱりそんな人生は少し寂しいのかな。
ちなみに私はキリスト系の幼稚園に通っておりました。
その頃から大人しい上に体が小さかったせいで、背の高い女子にいじめられ、「神様なんていない」と心の底から思いました。
お祈りはまともに行かないし、お祈りの言葉もまともに覚えないし、ましてやシスターが「マリア様が悲しみます」と叱る度に馬鹿馬鹿しいとすら思っていた。
幼稚園で配布されたキリストの歴史本に載っていた、貼り付けの絵を何度も見返して興奮していた思い出しかありません。
その頃から何も変わっていないのです。
そんな事もあって多面的に見てクリスマスが嫌いなのです。
クリスマスに関する記事を、わざわざ楽しげに書く必要もないなと思い、RonRon様側には大変申し訳ないのですが、正直に綴らせていただきました。
クレームを入れるなら私宛にお願いします。
クリスマスが嫌いな人、興味がない人が居たって良いと思うし、クリスマスに飯島愛を追悼する人間がいたって良い。
どうせ人間はいつか死ぬから素直な言葉を綴っていきたいですよね。
サンタさんから本当に欲しいものが一つだけ貰えるとしたら、やっぱり本当の意味で自分を愛する気持ちが欲しいかも
ただの12月25日なので、各々が思う楽しい日や、なんともない日を過ごしてください
執筆者 赤城文(あかぎ・あや)
FREEZINEにてコラム「文系恋人放浪中」連載中